4.23.2011

被災地への出張

先週19日火曜日と20日水曜日大船渡に出張した。
大船渡は今回の東日本大地震後の津波の影響を受けたところである。
朝8時10分大阪国際空港発の飛行機でいわて花巻空港まで行き大船渡までレンタカーで向かった。飛行場は自衛隊のヘリコプターが数機駐機していたのがいつもとの違いで普通どおりの感じだった。ただ降り立つ人間の多くは私の様に作業服を着ている人間が目立った。
空港で同じ会社の人間や協力会社の人と落ち合い2時間掛けて大船渡入りした。途中の山道は雪が降ってきた。遠くの山の尾根も雪を被っていた。
大船渡市内に入っても別に被災をしたという雰囲気でもなかった。ただ行き交う全国からやって来た警察車両「北海道警察」「千葉県警察」「大阪府警察」なんていうのや自衛隊の作業車がやっぱり被災地なんだなあと知られるだけであった。
しかし、あるところを過ぎると景色は一変。瓦礫の山。瓦礫の散乱する道路やつぶれた鉄骨構造の大きな建造物。生まれてはじめてみる景色だった。同乗していた人間皆絶句。
現地で調査した施設は復旧に向けて管理している人たちが清掃に精を出していた。
私たちの調査も13:00頃からスタートして16:00過ぎまで実施。
客先からは今日の満潮は17:00頃だからそれまでに撤収するようにと言う指示。きけば80cm程、地盤が沈下して満潮になると冠する道があるのでそれまでに撤収しろとのことだった。
地盤沈下で新たな問題が出ていることを知らされた。
予定通り撤収したが、帰り際に隣町の陸前高田の惨状も見て行くように現地の人にいわれた。と、いうのはいずれ調査する施設が陸前高田市にもあるため遠巻きにでも一度周辺状況を把握したほうが良いのではという地元の方のアドバイスだった。
と言うことで、陸前高田経由で宿泊した北上市に向かった。現地を後にして海沿いの道を瓦礫の山を縫うように進んだ。しばらくすると道路が満潮で冠水。やむなく引き返して国道へ。復旧工事の影響で大渋滞。渋滞を抜け陸前高田が見てきたら絶句。一面瓦礫の原野。国道43号線は海岸線から数百mは内陸にあるというのにここも地盤沈下の影響で道路わきまで海水が来ていた。
陸前高田は町全体が津波に飲まれ本当に瓦礫の原野。たまに見える大きな建物のもとてもまともな状態ではなかった。クラックが入ったり傾いたりと・・・・・。
そして津波は川を逆流しているから峠を抜けたところでも川沿いの建物も飲まれていた。
本当に悲惨な状態だった。
ものすごく時間を掛けて築いた建物や文化が津波で一瞬にして壊されたという事実は本当に信じられないが目の前にある事実は本当に事実なんだと。自然の力と人間の力の差は余りにも歴然としていた。
大阪に帰ってきて「頑張ろう日本」「ひとつになれ」とかテレビで流れてきている政府のコマーシャルにすごく違和感を感じた。自分の街があの瓦礫の原野になった人たちに向かって発しているメッセージでは無い。
瓦礫の中の人には頑張れもヘッタクレも無い今の不自由さ、見えない将来、いまでも続く地震や再来するといわれている津波の恐怖。
政府は内閣総理大臣を筆頭に会議を繰り返すばかり。自分達をヒーローにしようとそればかりを考えているよう。瓦礫の中で必死で生きている人たちに明日を与えるのが政治家の仕事だろと憤りを感じた。


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